メモ

140字に収まらなかったメモ書きです

黒埼ちとせちゃんのウワサ“吸血鬼の末裔らしい”に対する幾つかの考察(あるいは妄想)

皆様ごきげんよう

 

月刊ペースになっているのは副業が忙しいからだと気づいた。せつねえ。

 

今回は黒埼ちとせちゃんのウワサ“吸血鬼の末裔らしい”に対して幾つかの解釈案を立てました。

ネタバレと受け取れる箇所もあるかもしれません。注意。

 

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割と長文になりそうなので、お時間よろしければお付き合いください。

また、あまりにもにわか仕込みのところが多いので、その辺はゆるしてください。

 

※まず前提として…

 

SSR特訓前:桜の話

 

SSR【緋薔薇の令嬢】の特訓前が、千夜ちゃんと一緒に散り際の桜を見に行くカードなんだけど、

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多分皆気になった…というか割と核心なのでは?と思ったこのセリフ。
(僕は初めて引いた時、ブカレストブダペストと聞き間違えてあんたん報告ツイットをしたのでアレなんですけれども…なんでか今でもわからない…)


ブカレストルーマニアの首都。
ルーマニアといえば、ドラキュラでおなじみ吸血鬼伝説が残る国。

 

そんなブカレストのヘラストラウ公園という公園の中に、1998年に日本ルーマニア協会が造設した日本庭園コーナーがあるらしい。ここには、当初から桜が植樹され(おそらく)今でも見ることができるはず。このカードが“現実的に桜が散る時期、4月中旬ごろに実装されたカード"なので、比較的現実に近づけた表現をしている…とするなら、ちとせちゃんがいうところの"ブカレストで見た桜"はおそらくここの桜じゃないかなと思う。

 

この推察が正しいなら、更に時間軸まである程度踏み込めるんじゃないかと。
桜が植樹されてから、ある程度私たちが想像する桜のサイズに成長するまで20~30年かかるようなので、ちとせちゃんが日本の桜を見て当時を思い出すようなタイミングでブカレストの桜を見ているのであれば、長くとも10年前くらい…つまり2000年代はじめ〜中頃くらいにブカレストの桜を見ていたのでは?と考えられる。

だから、≒物心がついた位の、言語形成がある程度できてきた時期くらいまではルーマニアで生活していて、それから日本に移住してきた帰国子女(もしくは帰化して名前が変わった。)なのではと想像できそう。

 

ちとせちゃんと千夜ちゃんの出身地が違う事もこれが関係しているのかも。

出身地の定義を調べてみると、

国土交通省の文面だと「生まれてから15歳までの間、一番長く過ごした場所」

また、出身地を調べた場合多く出てくるのは「産まれてから1番影響を受けた場所」

そう、あくまで“出生地”ではなく“出身地”だから、日本に来た時に離れ離れになってしまい、そこで過ごした期間が1番長い(もしくは“人格形成”に1番影響を与えた)のかもしれない。

 

お互いが1番辛かった(かもしれない)時期に離れ離れだったから、千夜ちゃんはちとせちゃんを守る〜的な言動をとり、ちとせちゃんは千夜ちゃんに特に優しいのかな?

 

 

•黒埼という苗字の話

 

埼(もしくは崎)は≒先って事で山の端とか出っ張った陸地の意味があるらしい。
そこから転じて岬の名前とか埼玉の当て字に使われてるみたい。

 

埼をもしただ端として捉えるのなら、吸血鬼伝説のブラン城のような山城が想像できるんだけど、それなら山へんの崎を使うのでは?と思った。
そう思うと崎と埼の違いにも何か意味があるはず。


ということで調べると、陸地側から見た岬が崎、海側から見た岬が埼という用途で使うようある程度定めているよう。だから地図だと岬を崎と表記し、海図だと岬を埼と表記することが多いみたい。

 

それを踏まえて先述のルーマニア要素も入れると、ルーマニアが接する"黒"海の"埼"形状の場所を示しているのではないかと思ったりしたり。


ルーマニア黒海に面しているところはコンスタンツァという港町で、町の中でも特に、旧市街が岬のように少し出っ張った形状になっているらしい。
特に端のほうにはモスクがあるらしいんだけど、どのくらい関係があるかを考えるには、本当に関係があるのかを検証するには、僕には知識と教養が足りなかった。

 

今のところはこのあたりに暮らしていたのかな?とか"海から見た"が引っかかって、過去に侵略、移住等を行った側なのでは?等々ふんわりした想像しかできなかった。精進します。

 

 

 

 

 

ここからが本題です。

以下、前提をやや踏まえた解釈案です。

 

 

•A案

 

これはFascinateシナリオまで読んで比較的最初の方で思いついたパターン。

 

頭脳明晰、日本人離れした美貌、家柄による恨み、妬み、嫉み。
病弱なことにより、日中は刺激が強くてベッドに居る時間、寝ている時間がどうしても長くなってしまうこと。(それによって夜に行動できてしまう。)
前述の物心ついた後の移住による言葉の壁(とたぶんルーマニアからの移住って事もすぐに広まるかもしれない。)によるハンデ。

 

これらが組み合わさって、ある時誰かが言い始めた。


「彼女は人間ではない。きっと吸血鬼か何かだ。」

 

ウワサは(悪意があるモノほど)すぐに広まるものだし、本人の耳にも届くだろう。


孤独で居ても構わないなら、ウワサを聞いた人間と関わらなければよい話なのだけれど、たぶん彼女はどう思われても構わないからヒトの輪の中に居たかったのかもしれない。

 

だからこそ、"吸血鬼"をロールし始めた。

 

最初はロールだったかもしれないが、段々と馴染んで、変えられなくなって、未だに続けてしまっているのかもしれない。

 

この解釈でいくなら、
アイドルに向いている発言は恵まれた見た目、頭の良さから。


千夜ちゃんを誰かに託すような発言は、自分を曲げなくてもヒトの輪の中に入れる場所(今の事務所)を見つけたから。

自分はだめだったけれど、大好きな千夜ちゃんは己を曲げずに受け入れてくれる友達を作ってほしい。居場所を見つけてほしいと思っている。


諦観のような言動はヒトの輪の中に入るために己を捻じ曲げているから。


散り際の桜を美しいと感じる感性は、散る桜に、他人にあわせて自分を変え続ける己を投影しているのかも。

 

 

•B案

 

一般的によく担当Pの中で言われているパターン。

 

すなわち、自分の命がもうあまり長くはないことを自覚していて、それが言動に現れてしまっている。

 

ウワサについてはAと同じ理由で言われ始めたのかもしれないし、もしかしたら"吸血鬼の末裔だということ"と"だからこそ命が長くない"と聞かされていることが広まったのかもしれない。A案と同じく、状況から派生したパターン。

 

この解釈でいくなら、
アイドルに向いている発言は恵まれた見た目、頭の良さに加えて美人薄命、余命が短いことから滲む、"他人とは明らかに違う何か"を自分で自覚しているから。

 

千夜ちゃんを誰かに託すような発言は、自分の命が長くないことを自覚しているからこそ次の居場所を見つけてもらうため。


諦観のような言動は残された時間が短いことを自覚しているため、やり遂げられないと諦めているから。


散り際の桜を美しいと感じる感性は、散る桜に儚く消える自分と、直前の輝きという希望を重ねているのかもしれない。

 


•C案

 

完全にメタ。メタメタのメタなパターン。

CVの佐倉薫さんのあだ名が"吸血鬼の末裔"だから。

 

言動、キャラクター性については吸血鬼の末裔のウワサ先行。


アイドルに向いている発言はキャラデザとCVからのキャラ付け。


千夜ちゃんを誰かに託すような発言は、シンデレラガールズがもともと個を推すコンテンツだから。


諦観のような言動はキャラクター性。影がある美人っていいよねって感じ。

 

SSRの特訓前の桜も花散るということがメインなのではなく、風が吹いて桜が香るって事で桜香る→佐倉薫で声優さん主体のミーニング。

 

いや、書いてて思ったけどこれはない。


ないけど、ここまで織り込んでるのめちゃくちゃ凄くない?天才か?

最初からcvが付いていたからこそ、出来るキャラクターだと思う。

 

 

•D案

 

吸血鬼はあくまで存在する。ただし不死ではなく普通の人間と変わらない。という論から持ってきたパターン。詳しくは次の記事を参照(https://jp.sputniknews.com/life/201710274227773/)

 

2013年に設立されたイタリア吸血鬼協会の会長、ダヴィデ・サンタンドリア会長曰く、

 

インタビュー記事の内容を転記すると…

「イタリア吸血鬼協会は私が2013年に設立した正式な組織です。私のような本物の吸血鬼を1つにして、そうした人々の権利のために戦います。さらに、米国の吸血鬼研究を基に医学的テーマも取り扱います。米国ではこの現象はすでに30年間研究されています。イタリアの協会には2000人います。

 

私たちは映画やテレビで映される吸血鬼とは似ていません。不死ではないですし、棺桶で寝ることも、にんにくや聖水を恐れることもありません。私たちは人間ですが、医学的観点からは他の人々と異なるのです。私たちの体温は34度から34.5度。太陽光に敏感ですが、太陽は私たちを殺せません。ですが、太陽光は私たちの肌トラブルを引き起こす可能性があります。 

もう1つ吸血鬼特有の特徴があり、それは骨折後に骨組織の治りが早いことです。例えば、ある時私は肋骨を4本折りました。医者は完治に2ヶ月だと述べましたが、10日後には私はもう完全に健康でした。加えて、私たちの生活リズムは『反転』していて、夜中にスーパーアクティブになり、昼には寝たくなります。

 

医学的観点からは、本当の吸血鬼に必要なのは血なんかではなく、生命エネルギーです。健康でいるため、私たちは普通の人より多くのエネルギーを必要とします。吸血は最も容易なエネルギー抽出法です。なぜなら、生命エネルギーは何よりも血中を回っているからです。エネルギーを得るためには小さな切り傷を作って、そこから少し血を吸うことで十分です。ですが、本当の吸血鬼の圧倒的大多数は血は吸いません。


本当の吸血鬼は今に至るまで描かれているようなモンスターではありません。法執行機関と協力するものもいる普通の人間なのです。」

 

記事そのものが胡散臭さもあるとは思う。

だけど、コミュ、セリフからとれる特徴としては結構近くないか?と思ったり。

立ちくらみや貧血を頻繁に起こす描写と、夜に行動するシーンが多いのはこれで解釈が出来ると思う。

 

 

この解釈でいくなら、
アイドルに向いている発言は恵まれた見た目、頭の良さから。また、生活リズム的に定められた時間働く普通の仕事よりも向いていると感じたんじゃないかと。

千夜ちゃんを誰かに託すような発言は、生活リズム等普通の人間とズレがある中で、千夜ちゃんは普通の人と関わりを持って欲しいという願いから。

諦観のような言動は、やっぱり周りの人間とのズレを感じていて、周りの人間にとっては当たり前のことが当たり前のようにできない自分が嫌だから。

散り際の桜を美しいと感じる感性は、桜の散り際の作用から。桜が散る直前には花を切り離す為に離層が形成されて、本来幹に吸収されるはずだった栄養が花の中に留まる。だから散り際の桜が1番色付いていて美しいし、ある意味1番“生命エネルギーを含んでいる"とも取れるんじゃないかと。

 

 

•E案

 

フィクションである事を全面的に押し出したパターン。

彼女はいわゆる自分たちが思う不死の吸血鬼そのもの。実は人間ではない。

 

まず、以前ツイッターでデレスポのコミュにて

"鏡に映らない""許可されていない家(メイクアップルーム)の中には入ってはいけない"を破っているため吸血鬼ではない。

とのつぶやきを見かけたけれど、1コマ劇場のにんにくが食べられるネタも合わせて、ブラム・ストーカー作のドラキュラに出てきた、ドラキュラという一個体の要素を否定しているだけ。

吸血鬼である可能性そのものを否定しているわけではないと思う。

 

ちとせちゃんを担当にしてからVampire(吸血鬼)そのものについてざっと調べたりしてるんだけど、その中で結構多く出てくるのが妖婦、毒婦、異性の運命を狂わせるファム・ファタル的な要素。

そもそもVampireの語源の一説がトルコ語uber(魔女)だし、種村季弘:著の吸血鬼幻想という本の記載を引用すると、

【Vampir(ヴァンピール)という言葉は、その後、19世紀の博物学者たちによって「吸血蝙蝠」を指す用語として転用されたが。20世紀に入るとさらにもう1度転用されて「銀幕の宿命の女」たる妖婦(ヴァンプ)を意味することになる。】

と言葉の意味に追加されるくらい、かなり女吸血鬼モノの創作が多く描かれている。

 

メモリアルコミュ1の誘惑するような言動も、

特技名等に入っている魅了、甘美、魔性という要素も、

緋い瞳に白い肌、魅力的な外見もすべて彼女が吸血鬼である事を示しているような気がしてきてしまった訳で。

そう考えると、自分がアイドルに向いてる~に類する発言は数ある創作の中の、特に女性の吸血鬼が出てくる作品の内容を踏まえた上で、自分自身のことを言っているのではないかなと。

 

そういうことを考えているとレッスン着の着こなしも、自分の性的な魅力を理解した上で"あえて露出が多いものを選んでいるのでは""あえて肩を出して着ているのでは"って感じがしてくる。

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してくるだけかもしれないけど。

 

彼女が不死だとすると、他の言動、台詞類の解釈も真逆の受け取り方になり…

 

千夜ちゃんを誰かに託すような言動は、自分と千夜ちゃんの生きる時間軸が全く違うから。

 

諦観のような言動は、あまりにも永い生命活動の中で最後には周りから何もなくなってしまうから(この辺はスティーヴンキンググリーンマイルとかが近いかも)。

もし、肉体が人間に近いなら記憶、経験もすべて引き継げる訳では無く、自分が生きていることに意味を感じられないから。

ただ、死なないだけ、終わらないだけでその先には何も無いから生きるのがつまらなくなってしまうのでは(この辺はFGOの虞美人とか、西尾維新:作のヒトクイマジカルに出てきた円朽葉とかとか。伝わらないたとえだとは思うけど)


散り際の桜を美しいと感じる感性は、自分自身が終われないから、散れないからこそ終わりがあるモノを美しいと思っているのかもしれないし、"寿命がある周囲の人間"が散る桜のように映っているのかなと。

だからこそちとせちゃんには"何かのために生きようとする"千夜ちゃんがすごく美しく見えているし、それが自分に向けられていることに心から感謝をしているんだと取れる。


そう思えば、ちとせちゃんと千夜ちゃんは互いが互いに(若干ゆがんだ認知で)美しく見えているし、ちとせちゃんが千夜ちゃんを他のヒトの輪に入れたがっているのは、自分だけじゃなくて他の何かのために輝く千夜ちゃんが見たいからかもね。

 

後、メタ的な要素として、“コンテンツが終わらない限りこの娘は生き続ける"ってことを反転させて、不死のキャラクターを実装することで、コンテンツが終わらないで欲しい。いつまでも続いて欲しい。という願いを込めたのかと思った。思ったんだよ。

 

 

 

 

ってな感じで、ある程度分かってる情報と、調べてきた情報を組み合わせて5パターン程考えてみたんですけど、どうでしょうか?

 

担当の中でも“余命が短い"がまるで当たり前の解釈かのように語られている訳で、でも正直今までの俺の人生の中で出会ってきた“余命が短い"キャラクターでも、人間でも、あんな諦観はしていなかったように思ってしまってるんです。俺は。

だからこそ余命が短い以外の解釈も出来るし、そう思ってる人が1人でも居ないかな?と思ってこの記事を書いてみました。

 

あと、自分は、この娘のストーリーの面白いところがその解釈の幅にあると思っていて…Pとかファン側の価値観や経験とかでセリフの受け取り方が変わると思うんですよね。文面が含みを持った言葉で書いてある。

ある種この受け取り方ってやつもプロデューサーの個性、つまり“色"なのか…と思ってすごく1人で納得してるわけです。True Colorsってそういう事でもあるのかって。無色透明では居られないんだよね…

 

だから、今はそれこそ“色々"な解釈を聞いてみたいし、そういう意味で少しでもこの娘を担当してくれるP、見てくれる人が増えたらいいなと思います。

 

大阪公演が楽しみですね☆